2010年07月21日

佃 公彦さんの心に残るクルマ“Citroen 2CV”

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佃公彦(つくだ きみひこ)さんが亡くなったとは…。享年80歳。
故郷北海道の『北海道新聞』(他中日新聞、東京新聞等に連載)の4コマ漫画『ほのぼの君』(07年まで連載、日本最長記録の新聞漫画)を読んでいた昭和30年代生まれの世代としては、寂しいかぎりです。

自分には佃公彦さんとお会いしてお話させていただいた思い出があります。
17年ほど昔の話です。先輩と多摩川沿いの『コレクション』に行きました。当時はアルファロメオ・チューンで有名で、廃刊となってしまった雑誌『NAVI』でもちょくちょく取り上げられていたショップです。
そこに偶然、佃さんがお客さんでいらしていたのです。
佃さんが乗っていたのはアルファではなく、明るいグリーンに塗装された(御本人はカーキ色としていますが自分にはそう見えました)シトロエン2CVでした。「いろいろいじってあります」とお話しされていましたが、自分の記憶に残っているのはウェーバーのキャブレターに換装されていたことと、装着されていたエア・ファンネルが、いぶし銀のように光っていたことです。
あとは何を話したのか、緊張してしまって記憶にありません。ただ佃さんは、「2CVを相当に気に入っている」ことをいろいろ話してくれました。その一方で自分のような弱輩者の戯言も顔をしかめることなく聴いていただいたことは覚えています。それと、とてもオシャレな格好だったことも。
これまた偶然なのですが、多摩川でお会いした翌年に参加した『フレンチ・ブルー・ミーティング』でも佃さんと再会することができました。
その後、自分も2CVを運転するようになり、佃さんが話していた2CVの素晴らしさを短い期間でしたが味わうことができました。


さて1992年、あのカーグラフィックが30年の記念誌『ひと・クルマ・30』を発刊しましたが、その中のメイン記事『私のお気に入り』に寄稿した佃さんは「もっとも心に残る1台」として“Citroen 2CV”を選んでいました。

 これはもう、中毒としかいいようのないほどの惚れ込みようなのです。この2CVのハンドルを握るたびに「どこにそんなに惚れたんだい?」と自問自答するのですが、いまだに明確な答えがないのです。遅い、チャチっぽい、うるさい、暑い、寒い、どれをとっても現代のクルマの常識からいって、顰蹙を買う要素ばかりなのです。
 しかし、発想の角度を変えて見てみましょう。遅いということは、のんびり走れるということ、チャチっぽくてうるさいということは、人間と機械のシンプルでプリミティブな関わりあいをストレートに感じさせてくれること、暑い寒いということは、豊かな日本の四季の移ろいを、いち早く感受させてくれること、といった具合に置き換えることができるのです。我田引水と笑われてもいいのです。とにかくゾッコンなのですから……。
 一昨年、還暦を迎えた僕は27年間愛用したポルシェ356Bスーパー90と決別しました(現在は箱根のポルシェ博物館に入っています)第二の人生へのアプローチとして、僕の人生に最も関わりあいの深いクルマの選択は、僕のライフスタイルを決める上で最も重要なポイントなのです。
(中略)
 さて、ここで残りの人生20年を楽しく付き合える良き相棒を探さねばなりません。過去40年間のクルマ遍歴を通して、まず本音で付き合えること、そして常に僕が主導権を握っていられるクルマ(もうこのトシになると命令されるのはキライ)。スピードを出さなくても精いっぱい走ったという満足感。僕の体力、知性、感性を上回らないクルマでなくてはならないのです。せめてクルマぐらいは、僕のほうが威張っていたいのです。そして最後に色気。このきびしい採点をくぐり抜けて残ったクルマが2CVなのです。
 では2CV讃歌を奏でましょう。
 まず、運転席に座りハンドルに手をかけた途端、なんともいえない心の安らぎを覚えるのです。そしてエンジンをかけて走り出すと、あちこちから祭囃子のさんざめきが聞こえてきます。子どもごころをかきたてる懐かしい調べです。アクセルワークはといえば、タコ上げの手ごたえを足で感じるような快感があります。特に遠くの連峰をのぞみながらの2級国道を60〜70q/hで流す時など、フェラーリがなんだッ!、ポルシェがなんだッ!という気分にひたれます。また、快適に走ってきた中央道などで、渋滞30qと標識が出た時など「ま、のんびりいくか」と屋根をあけタバコに火をつけラジオのスイッチを入れます(高速中は聞えない)。これがポルシェだと、天国から地獄へ突き落されたような暗澹たる気持ちになってしまうのです。ストレスのたまらないクルマとしては2CVの右に出るクルマはないと僕は思っています。かくいう僕も過去には、ラリーにジムカーナにレースにとスピードに血道をあげた時期はありましたが、どういうわけか究極の一台に世界で一番のろいクルマを選んでしまった不思議さを、我ながらどう解釈したらいいのか戸惑っているというのも偽らざる気持ちなのです。
(別冊CG『ひと・クルマ・30』ニ玄社刊より)

60年代初めの日本で、ボルボPV544で日本アルペンラリーに参加、ミニ・クーパーSではジムカーナで大暴れ、356から始まってポルシェにゾッコンだった佃さんが選んだ「もっとも心に残る1台」としてえらんだのが2CVとは、悟りの境地とでも云うのでしょうかねぇ。
 確かに、2CVで追い越しに成功したときの快感は、フェラーリで感じるよりも数倍あるような気がします。
タグ:CITROEN
posted by ジャンニ at 00:35| Comment(0) | フランス車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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