2010年07月17日

Pininfarina

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ピニンファリーナの初めてのデザインは、1912年“FIAT ZERO”のラジエターグリルだった。バティスタ・ピニン・ファリーナが兄が経営する自動車車体会社、スタビリメンティ・ファリーナに従事していた頃にデザインされた。彼が17歳の頃である。

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“FIAT ZERO”1912

1930年5月、トリノ市のコルソトラバーニ107番地に車体工場カロッツェリア・ピニン・ファリーナを設立。傾倒したウィンドスクリーンや横方向に広いラジエターグリルなどを採用した個性的なスタイリング(それまでのクルマはフロントウィンドウは垂直に立っており、ラジエターグリルは縦に長いものだった)により、国内外での名声を高める。僅か数年の間に政界、産業界、芸術家たちによって支持されるようになった。

そのピニンファリーナを訪問することとなったのは感無量だった。
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“CISITALIA 202”1947
ピニン・ファリーナの名を一躍世界に轟かせた傑作。フェンダーとボディーを一体化させたスタイルは、それまで馬車の延長上にあったクルマのスタイルを一新させた。ニューヨーク近代美術館に永久展示されていることは有名な話だ。展示車が右ハンドルであることに注意。


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“NASH HEALEY SPORT”1952
ナッシュはいまはなきアメリカの自動車メーカー。このクルマはビリー・ワイルダー監督の映画『麗しのサブリナ』(主演オードリー・ヘップバーン)のなかで主演のハンフリー・ボガードのクルマとしてバティスタ自身によってデザインされる。のち100台がトリノのピニン・ファリーナ工場で限定生産されアメリカに輸出されている。


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“LANCIA AURELIA B24 S SPIDER”1955
アメリカ市場を意識し、意図的にパノラマミックウィンドウを採用しているが、それがこのクルマの特徴となり、ランチアらしい繊細さを感じさせるデザインとして成功している。


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“ALFA ROMEO GIULIETTA SPIDER”1955
軽快なデザインとアルファとしては比較的安価な価格設定が効してヒット作となった。


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“ALFA ROMEO 2uettottanta”2010
今年3月のジュネーブ・ショーにて、ピニンファリーナの創立80周年と、アルファロメオの創立100周年を記念するモデルとして企画された。
アルファロメオの北米再進出時にはかかせないバリエーションとなるであろうオープンのスポーツカー。必ずや実現しますように願っているのだが、どうなることやら。


今回、一番見たかったのはこのクルマ。
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“LANCIA FLAMINIA FLORIDAU”1957
これぞランチアと言いたいほどの優雅で繊細なボディライン。ピニンファリーナの独断場と言えよう。一見、2ドア・クーペでありながら、Bピラーレスで観音開きの4ドアボディ。バティスタの専用車として作られた。内装の革のターコイズ・ブルーも彼の趣味がでている。当時イタリアでも高級車に流行していたコラムシフトであることに注意。リア・ウィンドウにワイパーが備わっているのは実車を見てはじめて知った。Cピラーからのラインをみると2代目日産セドリックのラインを想像させ、セドリックがピニンファリーナの作品であっただろう事が推測される(日産は公式に認めていない)。

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posted by ジャンニ at 22:18| Comment(0) | イタリア車 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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